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フィレンツェ発中世の街並みが色濃く残るルッカへのショートトリップ

サン・マルティーノ大聖堂 海外
サン・マルティーノ大聖堂

フィレンツェから電車で約1時間40分~2時間半の場所にある、中世の面影が色濃く残るルッカ。オペラの名作「蝶々夫人」などの作曲家として知られるプッチー二の生誕地でもあります。

古代ローマ建築にも活かされた、高い建築技術と芸術性を持つ魅惑的な都市に出かけませんか?

今回は、そんなイタリア ルッカへの旅の様子をご紹介したいと思います。

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フィレンツェ~日帰りショートトリップ

フィレンツェ ドォオモの隣にある鐘楼から見下ろしたフィレンツェの街並み

フィレンツェ ドォオモの隣にある鐘楼から見下ろしたフィレンツェの街並み

フィレンツェから気軽に電車で日帰り旅行が可能な街 ルッカ。

フィレンツェから、ルッカまではイタリア国鉄で所要約1時間40分~2時間半。料金は7,80ユーロ~。

朝早く出発すれば、フィレンツェ~ルッカ。そして、ルッカ~ピサと駆け足で日帰りでフィレンツェを起点に観光することも可能です。

もちろん、フィレンツェ~ピサに最初に行き、ピサ~ルッカに行ってフィレンツェに帰ることも可能ですし、ルッカかピサのどちらかで1泊するのもお勧めです。時間があるなら、断然現地で1泊することをお勧めします。

ルッカ~ピサは国鉄で所要約30分ほど。料金は片道、3,60ユーロ。

ピサ~フィレンツェへは、イタリア国鉄で所要約50分から時間20分。料金は、8,60ユーロ~。

ルッカ鉄道駅

ルッカ鉄道駅

ルッカの鉄道駅を降りたら、正面出口よりまっすぐに伸びる道を進んでいきます。駅を背にして、左側にインフォメーションのマークが見えます。

サイクリング自転車をレンタルして街を回るもよし。観光マップは1ユーロです。ここは観光案内所というよりも、現地発のツアーの予約センターを兼ねています。

サンピエトロ門

サンピエトロ門

ルッカの中心街は、城壁に囲まれています。1566年に建造されたサンピエトロ門をくぐると、一気に中世の世界に迷い込んだ錯覚に陥ります。まるで、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」の世界観と言った方が分かりやすいでしょうか?

サンピエトロ門城壁内部

サンピエトロ門城壁内部

サンピエトロ門の反対側は質素なつくりです。まさに、アニメで出てきた千尋とご両親が現実の世界に戻る門にどことなく似ていませんか?

まずは、動画でルッカの町をバーチャル体験してみましょう。

城壁内の地図です。かなり多くの歴史的建造物があることが一目瞭然ですよね。

城壁都市ルッカの歴史を紐解いてみましょう ①エトルリア

城壁の中の中世の面影が残る場所

城壁の中の中世の面影が残る場所

ルッカは元々エトルリア人が開拓した街です。エトルリア人とは、イタリア半島中部の先住民族のことを指します。独自のエトルリア語を話し、文化を築いたが、徐々に古代ローマ人と同化し消滅していきました。

エトルリア人についての最古の記述は、ヘーシオドスが書いた「神統記」の中に登場します。

エトルリア人は「ティレニア海の輝けるすべての民」として、紀元前690年 ごろには最も古いエトルリアの碑文にアルファベットも使用されていました。

インド・ヨーロッパ語所属ではなかったエルトリア人が、現在のナポリ近郊(当時クマと呼ばれていた)でギリシア人との交易の70年前にはアルファベットを学んでいたと言われています。

エトルリアは、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群のことを指し、12都市が祭祀・軍事で協力しあっていました。

当時としては高い建築技術を持ち、後に古代ローマの建設にもその技術が活かされました。

王政ローマの7人の最後の3人は、エトルリア人の血をひいています。

城壁都市ルッカの歴史を紐解いてみましょう ② 侵略の繰り返し

ルッカの町を囲む城壁

ルッカの町を囲む城壁

紀元前180年ごろ、古代ローマによるイタリア統一の流れの中で、ルッカもローマの植民地にされました。紀元前56年には、ガイウス・ユリウス・カエサル、マルクス・リキニウス・クラッスス、グナエウス・ポンペイウスが、ルッカで会談を行いました。

紀元前90年には自治都市になるものの、553年には東ローマ帝国軍に再度征服されてしまいます。10世紀~11世紀には神聖ローマ帝国のトスカーナ辺境伯領の首都となりました。

しかし、1115年に最後の領主マティルデ・ディ・カノッサが没すると、都市代表権は1120年には市民に移り、それ以降自治都市として、市民が優勢をかちえた都市になりました。

11世紀以降は、絹の生産から交易地として発展していきます。

1314年から1369年にかけては、数人の僭主に支配されますが、カストルッチョ・カストラカーニの死後市民による暴動が起きました。その後もフィレンツェ共和国やピサなど近隣との抗争が続き、一時弱体するものの、絹製品のおかげで復興しました。

その後、かのナポレオン・ボナパルトにより支配され、彼の妹の妹エリザ・ボナパルトはルッカ一帯を支配する「ルッカ=ピオンビーノ大公妃」になりました。

1815年に行われたウィーン会議でルッカ公国となったが、1847年には再度トスカーナ大公国に組み込まれました。

更には、イタリア統一運動における住民投票で、1861年に成立したイタリア王国に所属することになりました。

ルッカは都市及び要塞として重要な役割を担ったため、市内を城壁で囲み敵からの侵入を避け、街のあちこちに斜塔が立って敵からの侵入を監視する役割を担ったのでしょうね。

世界で3番目に大規模な ルッカ・コミックス・アンド・ゲームス

フェスティバル案内板

フェスティバル案内板

ルッカ・コミックス・アンド・ゲームスは、世界で3番目に大規模なアニメ・ゲームの祭典で、ルッカで毎年10月末から11月頭にかけて行われる恒例フェスティバルとなっています。

上記写真の門の右側にある立て看板が、街中あちこちに立てられ、各会場への道案内をしてくれます。

日本ブース

日本ブース

もちろん、アニメと言えば日本。日本ブースも作られ、ドラゴンボールをはじめ、懐かしのアニメも漫画本が数多く用意されていました。日本のアニメブースは、サン・マルティーノ大聖堂のすぐ近くに設けられています。

YOUTUBE上にもイタリア語吹き替え版の懐かしのアニメがたくさんアップされているので、イタリア語の会話を学びたい方には無料教材として楽しく活用しちゃいましょう。

日本ブース準備中

日本ブース準備中

ルッカには、イタリア・マンガ及びイメージ美術館(Museo del fumetto e dell’immagine)もあります。

気になる方は、上記の公式サイトで確認しましょう。

城壁の中にいくつもあるアニメ関連のお店

城壁の中にいくつもあるアニメ関連のお店

ルッカの町を歩いていると、このようにアニメ関係のグッズを売っているお店がたくさんあります。

ルッカのシンボル サン・マルティーノ大聖堂とその周辺

サン・マルティーノ大聖堂 (Duomo di San Martino)

サン・マルティーノ大聖堂 (Duomo di San Martino)

ルッカ中心街のサン・ミケーレ広場にたつ、サン・ミケーレ・イン・フォロ教会と同じく、グイデット・ダ・コモによる製作でルッカ様式の大変美しい大聖堂です。

この写真の左側の奥にある扉の通りを挟んで反対側に、大聖堂にまつわる博物館があり、共通チケットで見学が可能です。

大聖堂の中は撮影禁止なので、残念ながら内部の模様を写真で見せることができませんが、イエスの遺体を引き取って埋葬したニコデモの作といわれる、聖遺物もあります。

更には、ヤコポ・デッラ・クエルチャ(ミケランジェロの先駆者とみなされる、ルネサンス期イタリアのシエナ派の彫刻家)による、イラリア・デル・カッレットの彫像も見逃せません。

また、ティントレット(ルネサンス期のヴェネツィアを代表する画家)の板絵、最後の晩餐もお見逃しなく!

こちらは、大聖堂や博物館、サンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会とも共通パス9ユーロで登ることが可能ですが、安全上の理由で全てこの写真の様に網が張られています。

この間にレンズを入れようとしても入りきれないので、パスも鐘楼抜きのものにして登らないほうが良いかもしれません。

私は1日に3つ上りましたが、午前中から午後18時くらいまで休みなしで歩き続けても、全てまわる時間が無くなってしまいました。

大聖堂博物館(Museo della Cattedrale)。小さいと侮るなかれ。

展示品は、全て美の宝庫フィレンツェやシエナをも勝ったと言われる芸術性の高い物ばかり。

模型の中までのぞくと、かなり精巧な作りになっています。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会(Chiesa dei Santi Giovanni e Reparata)

カテドラル内部は天井以外とても質素なつくりで、モザイク画があるくらいですが、こちらも侮るなかれ。

何と、地下には発掘された遺跡もあり、実際に地下に降りてまじかに見ることができます。共同浴場なんかもあり、見ごたえ抜群です。

更には、大聖堂よりもこちらの鐘楼に登るのが断然お勧めです。必ず、飲み物を持参しましょう。

何故なら、同様に安全上の理由から網で覆われていますが、絶好の撮影ポイントのところが、下記の写真の様に所々網が一部のみ穴が開けられており、そこにカメラのレンズを合わせると、このような写真を撮ることが可能だからです。

階段の途中も、屋上もあちこちに写真を撮るための穴があけられているので、180度ルッカの街並みの写真を撮るのには、断然大聖堂の鐘楼よりもこちらに登ることをお勧めします。

ルッカには、14世紀初頭には城壁内に100を超える塔が立ち並んでいました。

一番上に上がる階段は、写真で見れば一目瞭然ですがほぼ垂直です。降りるときは反対向きになり下りるしかないので、バックなども邪魔にならないようにリュック、足元は石畳の上も歩けるようにバスケでの見学をお勧めします。

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